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デジタルカメラ研究マガジン
旧機種デジカメ特集
オリンパス E-10 の巻
前回の、都電荒川線「面影橋」続きとなります。

だいぶ前(2006年6月)に撮りに行った写真をアップし忘れていたのに気が付きました(現在2008年1月)。
せっかくなので、撮影したカメラ「E-10」について解説しながら書いていきます。

このカメラこそが現在の「フォーサーズシステム」に至る布石を築いたと言っても過言は無いでしょう。
400万画素 2/3型(インチ)原色CCD搭載で光学ファインダー式一眼レフデジカメ。
とても大きくて重たく、レンズはボディーと一体型。余談ですが、このレンズは設計段階では取り外しが可能だったそうです。
レンズスペックが凄い。35〜140mm相当(35mmフィルム換算)、F2.0〜2.4、しかもEDレンズ1枚、非球面レンズを2枚、全レンズに全面マルチコートを施した、云わばフォーサーズで例えるなら「スーパーハイグレードシステム」に相当します。光学ファインダーの仕組みが今と違い、ガラスプリズムによってCCD面とファインダーに像を分離しています。これは当時オリンパスがデジタル一眼にお得意としていた方式で、デメリットはピントのヤマが分かりにくいこと。

実は、2/3型光学ファインダー式一眼レフはこのカメラが初ではありません。


オリンパスの初代一眼レフデジカメ(写真は C-1400XL)

コンシューマー向けとして初めて登場したのは CAMEDIA C-1400L でした。デジ研も発売早々に手に入れ、最も使い込んだ楽しいデジカメでした。機能はフルオートに近く、絞りは2つしかないのをカメラが自動で切り替えてしまうため、NDフィルターを噛まして何とかして絞り優先AE的に使ったものです。レンズとボディーは一体型。この時の光学一眼レフ方式はE-10、E-20まで受け継がれていきます。
C-1400Lは2/3型140万画素CCDで、当時は劇的に大きなCCDサイズだったのです。一般的には1/4インチ35万画素だったんですから。この後、 動作が遅かった問題を改善し、5枚分のバッファーを積んだC-1400XLが登場しています。

ところでオリンパスにはデジタルカメラの型番に「C」と「E」が存在するのをご存知でしょうか?
CANEDIAブランドの「C」シリーズは、コンパクトタイプの C-2000Zoom や一眼レフの C-1400L があり、今は「μ、SP、X」等々枝分かれしています。このCシリーズからはじまる一眼レフはその後、C-2500Lが最終です。


2/3インチ250万画素CCD搭載  C-2500L

C-2500Lでは絞り優先AEも搭載されました。但し、絞り羽式ではなく、C-1400Lと同じ固定式の円形絞りを切り替える仕組みのため、それほど表現力があった訳でもありませんでした。C-1400Lはカメラとしてのスペックは貧弱でも、当時は時代の先陣を切ったカルチャーショック的な存在だったため大絶賛されたのに対し、C-2500Lはすでに300万画素に達した市場の中で、250万画素CCDだったこともあり、目新しさに欠けた存在で、あまり売れなかったと思います。ただし、デジ研としてはとても面白いデジカメでしたよ。特にクローズアップレンズを取り付けたマクロ撮影にはどのデジカメよりも群を抜いて素晴らしい作品を撮る事が出来ました。フォトコンテスト総ナメでとにかく楽しかった。

では、型番に「E」が付くシリーズは。


150万画素CCD搭載 E-100RS

はじめて「E」の冠を付けて登場したのが、E-10とE-100RSです。「E」はプロフェッショナル仕様。これはその後の E-20からE-1へ、そして現代を代表するオリンパスの一眼レフ式デジカメに受け継がれています。Cシリーズから発展したモデルは2008年1月現在100機種を超えたのに対し、Eシリーズは10機種のみ。オリンパス渾身のカメラとなっています。
E-100RSは最も奇抜で凄いスペックのデジカメでした。「E」と名が付くようにプロの為の機能満載。秒間15コマの高速連写に、シャッターボタンを実際に押す1秒前から画像を記録するモードも備え、しかも1/10000秒のシャッタースピード対応。決定的瞬間が撮れるカメラだったのです。デジ研ではこのカメラの機能を利用して、ミルククラウンの撮影にも成功しています。但し、150万画素だったことがネックにもなり、本当に売れなかったようです。

さあ、相当に道を外れてカメラの説明をしてきました。
以下はE-10で撮影した画像です。
クリックすると元画像を表示します。


都電面影橋駅


すぐ近くにひっそりと建つ神社。
子供の頃、面影橋に住んでいた僕の記憶では夏祭りに沢山の人が訪れていました。
季節外れに訪れたこの神社は、大人になった僕の目にはとても小さく、寂しい雰囲気。
今も祭りには屋台が沢山出ているのだろうか、、。



乾物屋を覗くとお爺さんが気持ち良く昼寝。
「小鳥の餌」の看板なんて、一体いつの時代の物だったのだろうか。

「甘泉園」(かんせいえん)
僕が小学生の頃に毎日釣竿を持ってここに友達と来てました。
今も小さな子供が水遊びをしていましたが、釣りは禁止になってました。




坂を上って早稲通りに出れば今も古本屋が何店か残っていました。
高田馬場に通じる早稲田通りには学生のために古本屋が目に付きます。
本は売れないのか少し年季が入った物が多く、ちょっと寂しいですね。

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